いつの間にか充実して来たこの "P Series"。
P Seriesってのは何かというと、
の総称です。
P memoはこのP noteや、もう1つのオフィシャルブログを書くときのメモみたいなもので、P clipは面白いと思った動画や写真を貼付けるタンブラー。
今までは個人的に使っていたんだけど、せっかくなのでP noteの読者限定で先行公開することにした。
特にP memoは日々の雑多な思いつきやネットで見つけたネタを頻繁に更新しているんで、何か感じたことがあったら気軽にレスしてほしい。
その中でまとまってきた考えをこのP noteにフィードバックする予定でいるので。
積極的に新しいWebサービスを試している私ですが、Twitterだけはどうすればいいのか今だに分かりません。
誰か教えて。
近々更新します。
2011年1月28日金曜日
ゲリラ戦なんだよね
せっかく気軽に思ったことを書ける場所としてこのブログを立ち上げたのだから、今年はもっと頻繁に更新したいと思う。
と言っても既に1月も終わりだが(笑)
文章を書くのは好きだし、精神衛生上も非常に良い。
おまけに数は少ないが読者からの反応によって自分の思考を再考する機会も与えられる。
めんどくさがっていたり恥ずかしがっていたりしては勿体無い。ことは分かっている。
さて、最近参加したCDがかなり売れている様子である。
元々あまり聴かない、好きではないジャンルの音楽だったが、少々勉強してやってみた。
手を抜いたつもりはないが、何しろ専門外、付け焼刃みたいなものである。
それが売れているというのは、自分だけで作ったのではないとは言え、少々複雑な気分だ。
そりゃ嬉しくないこともない。
だが、やっぱりこういうのがみんな好きなのね〜と、自身との嗜好の違いに改めて気付かされ、自分で作ったくせに問題を感じてしまう。
あれが売れるのは、簡単に言うと「分かりやすい」からだ。
馴染み深いヒット曲を集め、パーティーを興ざめさせるような意味深な展開もなく、はっきりとしたクライマックスも親切に用意されている。
自分のようなひねくれ者にとっては何の引っ掛かりもなくて退屈な気がするし、「ハイ、来ますよ来ますよ、キタ〜!!!」というクライマックスにしても、「そこまで言われなくても分かるわ!」とピシッと言ってやりたくなるのだが、言う相手が自分なので意味が分からない。
これが創作の苦悩というものなのだろうか。
という大層なものではもちろん全然なく、単に「自分の趣味は偏っている」というだけのことである。
おそらくほとんどのクリエイターはそうだと思うが、好きなものを追求すればするほど、在り来たりのものではなく、より濃いもの、ごく狭い範囲の需要に向けて作られたものを好むようになる。
大多数に向けて作られたものは、色んな人の好みの最大公約数みたいなものだから、濃い部分は篩の上に残ってしまい、下に落ちるのは薄くなってしまって当たり前なのだ。
もちろん中には、一般にもマニアにも受け入れられる作品というのもあろう。
だが、自分にとってかけがえのない作品というのはそれとは違って、自分だけに向けて作られたと見紛うような、ひっそりとしたものでなくてはならない、と思うのは私だけではない筈だ。
しかし、である。
ここまでの話をひっくり返すようだが、クリエイター自身がそういうひっそりとした作品を作ろうとしてはならないと思う。
どこかにそのひっそりとした作品を待っているありがたいファンがいるとしよう。
だが最初から彼にピンポイントで向けて作られた作品は、他の人にアピールする可能性が当然低いので、そんなものにお金をかけてプロモーション・流通してくれるような酔狂な人と出会える可能性も低く、従って彼の元に届くことはない。
そこで我々が出来ることは、自分がよいと思える音楽のエキスを、目の前の仕事の中にいかに封じ込めるかを考え、隙があればそのエキスの割合を少しずつ濃くしていき、あわよくばほぼ原液のまま提供したりして、いつの間にか中毒患者を日本中に増やすということではなかろうか。
と言っても既に1月も終わりだが(笑)
文章を書くのは好きだし、精神衛生上も非常に良い。
おまけに数は少ないが読者からの反応によって自分の思考を再考する機会も与えられる。
めんどくさがっていたり恥ずかしがっていたりしては勿体無い。ことは分かっている。
さて、最近参加したCDがかなり売れている様子である。
元々あまり聴かない、好きではないジャンルの音楽だったが、少々勉強してやってみた。
手を抜いたつもりはないが、何しろ専門外、付け焼刃みたいなものである。
それが売れているというのは、自分だけで作ったのではないとは言え、少々複雑な気分だ。
そりゃ嬉しくないこともない。
だが、やっぱりこういうのがみんな好きなのね〜と、自身との嗜好の違いに改めて気付かされ、自分で作ったくせに問題を感じてしまう。
あれが売れるのは、簡単に言うと「分かりやすい」からだ。
馴染み深いヒット曲を集め、パーティーを興ざめさせるような意味深な展開もなく、はっきりとしたクライマックスも親切に用意されている。
自分のようなひねくれ者にとっては何の引っ掛かりもなくて退屈な気がするし、「ハイ、来ますよ来ますよ、キタ〜!!!」というクライマックスにしても、「そこまで言われなくても分かるわ!」とピシッと言ってやりたくなるのだが、言う相手が自分なので意味が分からない。
これが創作の苦悩というものなのだろうか。
という大層なものではもちろん全然なく、単に「自分の趣味は偏っている」というだけのことである。
おそらくほとんどのクリエイターはそうだと思うが、好きなものを追求すればするほど、在り来たりのものではなく、より濃いもの、ごく狭い範囲の需要に向けて作られたものを好むようになる。
大多数に向けて作られたものは、色んな人の好みの最大公約数みたいなものだから、濃い部分は篩の上に残ってしまい、下に落ちるのは薄くなってしまって当たり前なのだ。
もちろん中には、一般にもマニアにも受け入れられる作品というのもあろう。
だが、自分にとってかけがえのない作品というのはそれとは違って、自分だけに向けて作られたと見紛うような、ひっそりとしたものでなくてはならない、と思うのは私だけではない筈だ。
しかし、である。
ここまでの話をひっくり返すようだが、クリエイター自身がそういうひっそりとした作品を作ろうとしてはならないと思う。
どこかにそのひっそりとした作品を待っているありがたいファンがいるとしよう。
だが最初から彼にピンポイントで向けて作られた作品は、他の人にアピールする可能性が当然低いので、そんなものにお金をかけてプロモーション・流通してくれるような酔狂な人と出会える可能性も低く、従って彼の元に届くことはない。
そこで我々が出来ることは、自分がよいと思える音楽のエキスを、目の前の仕事の中にいかに封じ込めるかを考え、隙があればそのエキスの割合を少しずつ濃くしていき、あわよくばほぼ原液のまま提供したりして、いつの間にか中毒患者を日本中に増やすということではなかろうか。