他人の気持ちを考えられるのはいいことだ。
僕みたいに自分勝手な人間からみると、すごいと思う。
だが、それがいつも当たっているとは限らない。
ときにはその気遣いが迷惑であり、逆にその人間の無神経さを露呈することもある。
他人の気持ちを想像するとき、人は自らの経験を基にして想像することしか出来ない。
いくら想像力や知識があっても、気持ちが分かるのとは別の話だ。
つまり、他人の気持ちが分かるというのは、あくまでも自分をある立場に置いたとき、自分はどう思うかを想像することでしかない。
同じことを見たり聞いたりしても、嬉しく思う人もいれば、頭に来る人も、悲しく思う人もいる。
当たり前のようだが、ある事象に対して、受け止め方は人それぞれ本当に違うのだ。
しかし、それを現実として認められる人がどれ位いるか。
自分と似た感受性を持った他人のみを人間として認め、それ以外は「変わった人」で片付けていないか。
自分はこう思うからみんなそう思うだろう、その無邪気な論理は自分と違う人間を否定することではないか。
確かに、親しい間柄で、似たような感じ方や価値観を見つけることはよくあるだろう。
だが突き詰めて話せば、絶対に同じではない筈だ。
とは言うものの、同じものを、同じ観点で同じように感じることに安心を見出すような日本の社会では、些細な違いなど切り捨てて同化することをよしとする傾向があるように思える。
判で押したようにみんな同じ反応、まるで使い回し可能なシンプルなプログラムのようだ。
最近はITで何でも合理化だから、人の心もモジュール化しているのかもしれない。
幸せを願ったり、心配したりってのは、身の周りの手が届く人間に対してでいいじゃん。
僕にとってはそれが精一杯やって出来るかどうかだし、出来る人は偉いと思うよ。
何で、大した知らない人のことまで「思いやり」、自分の「善」を押し付け、あげくその「善」を認めてもらおうとするのか。
大人としてのモラル?
それとも驕り?
2 コメント :
うーん。
おもしろい。
このブログおもしろいよ。
なんというか...せきららというか。
すごくTさんのものの見方、捉え方が見えるというか。
もちろん、Tさんの一部分なんだろうけど。
>同じものを、同じ観点で同じように感じることに安心を見出すような日本の社会では、些細な違いなど切り捨てて同化することをよしとする傾向があるように思える。
かなり話は違うんだけど、昔職場で同僚達がオリンピックの話で盛り上がってて(オリンピック開催期間中ね)、俺に話をふられたんで「俺オリンピック見ないよ」「別に興味無いし」とか言ったら、「非国民ですねー」とか言われた事を思い出した。
俺はお前らより普段から愛国心あるよとか思ったけどね。
全然話違うね(笑)。
文章に書かれてる事とまったく趣旨がちがう...。
「他人の気持ち」ねえ。
むずかしいねえ。
俺も、普段なにげにやってる事でも不快に感じられてたりとかする事もあるのかなあ。結構。
意識してないけど認めてもらおうと思ってたりもするのかもなあ。
自分もTだね。
おもしろがってくれて嬉しいよ。
オリンピックの話に似てるんだけど、前にジャズ好きが集まったときにジョン・コルトレーンの話になって、あの曲のここが好きだみたいな話になったことがあった。
その時に、みんなが挙げるのが被りまくってて、確かにどれも名演なんだけど、それでもおかしいじゃない。
どこかで読んだ評論家の言葉をただ引用しているだけで、自分でいいと思った訳ではないんじゃないのと感じた。
それで思わず「おれは嫌いだね」と悪態をついてしまった。
本当はコルトレーン大好きです。
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