2011年3月5日土曜日

兄弟を紹介するんだよね

いつの間にか充実して来たこの "P Series"。
P Seriesってのは何かというと、


の総称です。
P memoはこのP noteや、もう1つのオフィシャルブログを書くときのメモみたいなもので、P clipは面白いと思った動画や写真を貼付けるタンブラー。
今までは個人的に使っていたんだけど、せっかくなのでP noteの読者限定で先行公開することにした。
特にP memoは日々の雑多な思いつきやネットで見つけたネタを頻繁に更新しているんで、何か感じたことがあったら気軽にレスしてほしい。
その中でまとまってきた考えをこのP noteにフィードバックする予定でいるので。

積極的に新しいWebサービスを試している私ですが、Twitterだけはどうすればいいのか今だに分かりません。
誰か教えて。

2011年1月28日金曜日

ゲリラ戦なんだよね

せっかく気軽に思ったことを書ける場所としてこのブログを立ち上げたのだから、今年はもっと頻繁に更新したいと思う。
と言っても既に1月も終わりだが(笑)
文章を書くのは好きだし、精神衛生上も非常に良い。
おまけに数は少ないが読者からの反応によって自分の思考を再考する機会も与えられる。
めんどくさがっていたり恥ずかしがっていたりしては勿体無い。ことは分かっている。

さて、最近参加したCDがかなり売れている様子である。
元々あまり聴かない、好きではないジャンルの音楽だったが、少々勉強してやってみた。
手を抜いたつもりはないが、何しろ専門外、付け焼刃みたいなものである。
それが売れているというのは、自分だけで作ったのではないとは言え、少々複雑な気分だ。
そりゃ嬉しくないこともない。
だが、やっぱりこういうのがみんな好きなのね〜と、自身との嗜好の違いに改めて気付かされ、自分で作ったくせに問題を感じてしまう。

あれが売れるのは、簡単に言うと「分かりやすい」からだ。
馴染み深いヒット曲を集め、パーティーを興ざめさせるような意味深な展開もなく、はっきりとしたクライマックスも親切に用意されている。
自分のようなひねくれ者にとっては何の引っ掛かりもなくて退屈な気がするし、「ハイ、来ますよ来ますよ、キタ〜!!!」というクライマックスにしても、「そこまで言われなくても分かるわ!」とピシッと言ってやりたくなるのだが、言う相手が自分なので意味が分からない。

これが創作の苦悩というものなのだろうか。
という大層なものではもちろん全然なく、単に「自分の趣味は偏っている」というだけのことである。
おそらくほとんどのクリエイターはそうだと思うが、好きなものを追求すればするほど、在り来たりのものではなく、より濃いもの、ごく狭い範囲の需要に向けて作られたものを好むようになる。
大多数に向けて作られたものは、色んな人の好みの最大公約数みたいなものだから、濃い部分は篩の上に残ってしまい、下に落ちるのは薄くなってしまって当たり前なのだ。
もちろん中には、一般にもマニアにも受け入れられる作品というのもあろう。
だが、自分にとってかけがえのない作品というのはそれとは違って、自分だけに向けて作られたと見紛うような、ひっそりとしたものでなくてはならない、と思うのは私だけではない筈だ。

しかし、である。
ここまでの話をひっくり返すようだが、クリエイター自身がそういうひっそりとした作品を作ろうとしてはならないと思う。
どこかにそのひっそりとした作品を待っているありがたいファンがいるとしよう。
だが最初から彼にピンポイントで向けて作られた作品は、他の人にアピールする可能性が当然低いので、そんなものにお金をかけてプロモーション・流通してくれるような酔狂な人と出会える可能性も低く、従って彼の元に届くことはない。
そこで我々が出来ることは、自分がよいと思える音楽のエキスを、目の前の仕事の中にいかに封じ込めるかを考え、隙があればそのエキスの割合を少しずつ濃くしていき、あわよくばほぼ原液のまま提供したりして、いつの間にか中毒患者を日本中に増やすということではなかろうか。

2010年12月7日火曜日

一緒に行ってきたんだよね

会社を休んで、彼女の付き添いで心療内科に行ってきた。
彼女は長年パニック障害を患っていて、薬は飲んでいるのだが、なかなか思うように改善されず悩んでいる。
僕も普段から病気については多少なりとも勉強して、自分なりに考えてサポートしようとしているつもりだが、所詮素人なので見当違いのことを言ったり逆効果だったりしているだろうし、自分の器の小ささからつい感情的になることもあり、力不足を感じていた。
そこで、聞くところしばらく診察もカウンセリングも受けていないようだし、もっと合う病院や処方を探した方がいいのではと思ったので、いろいろ調べて半蔵門モロオカクリニックを見つけた。
医師はパニック障害を専門にしているようだし、掲示板での患者たちの声も良い感じだった。

着いたらまず20分ほどのカウンセリング。
僕は静かな待合室で本を読みながら待つ。
ちなみに読んでいたのは伊藤計劃の「メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット」。
大好きなのだが、まあ、全く頭に入らない。
当然中の様子は分からず、うまく話せているだろうかと気になる。
彼女はただでさえ初対面が苦手だし、大体カウンセリングは会話が全てなので、適切な治療をこれから受けるためには何とか現状を伝えなくてはならない。
頑張ってくれよ、と。

でも部屋から出てきた彼女は割とリラックスしていたように見えほっとした。
またしばし待つ。
次は医師との診察だ。
初診でどうこうなるわけでもないが、緊張する。
こういう病気は特効薬や決まった治療法があるわけではないので、医師の腕がいいだけではなく相性も大事だ。
つまり出会いだ。運だ。
少しでもいい方向に行く出会いであるように願う。

彼女の診察が終わった後、僕も少し医師と話をした。
ゆっくり治していきましょうと言われた。

そうだね。
良くなるといいな。

2010年11月6日土曜日

いい迷惑なんだよね

何と今日ライブをやる予定だった店がドラッグで摘発され、営業停止になった!
タイミングが急過ぎる。
せっかく楽しみにしてたのにな。
いろいろ実験したいと思ってたこともお預けだ。

しかし考えてみれば、実験がてらで中途半端なライブをやるなということかもしれない。
実験的なのが面白かったりすることも多いが、メンバーも急遽寄せ集めだったし、コンセプトも意識統一されてなかったし、もう少しよく練るべきだったとも思う。
別にお客さんがお金を払っているから責任を持てという話では決してないが、変にライブ慣れしていると、「まあとりあえずやってみるか!」みたいにいい加減になりがちだからなあ、気を引き締めねば。

ドラッグ絡みでクラブが営業停止になるのは、警察の目が厳しくなったこともあって最近はあまり聞かない。
ラッパーが逮捕されるのは今も昔もよく聞くが。
法律なんで仕方がないが、そのために店自体が営業停止になったり、前評判のいいアルバムがお蔵入りになったりするのは実に勿体ない。
普通に音楽を楽しんでいる人も結果的に被害を被るのは何か高校の野球部みたいな連帯責任というか、納得いかない面がある。
有名で大きな店になるほど、暗闇の中で全ての客を監視するのは難しくなるし、アルバムだって他に参加している人もいるのだから、売ったりやったりしていた人だけ罰する訳にはいかないのだろうか。

ともかく、ソロ活動に向けての現場での実験は持ち越し。
最近NovationのReMOTE SL COMPACTを入手したので、これを早く使ってみたい。
鍵盤の感じもなかなか良いし、使用中のDAWのパラメーターを自動でツマミやボタンにアサインするAutomapというシステムが秀逸。
自分はプレイヤー出身なので、曲作りでもライブでもプレイしたいんだよね。
それに最近はiPadのソフトウェアでスクリーンにタッチしてコントロールするのが流行ってきてるけど、こうして実際のツマミやボタンを触れるのはやっぱり快感。
欲を言えばもう少しツマミが重くてクリックがないと良いが…とその辺のツマミ愛については、また次の機会に話そう。

2010年10月21日木曜日

それでもプレイするのが好きなんだよね

さてブーゲンを辞めた後どんな感じかというと、サックスを演奏する機会はめっきり減って、曲作りや頼まれたミックス仕事などが多い。
元々サックスよりも制作の方が自信があるので、自然なバランスになったような気もする。
サックスの方が身軽だし、手っ取り早くお金になるのだが、僕は下手なので、なかなか思い通りにプレイ出来ず、ストレスが溜まる。
身軽だが気軽ではないというところだろうか。

例えば、ライブで対バンに上手いミュージシャンを見ると、内心済まない気持ちになる。
「おお、上手くてかっこいいバンドだなあ」と感心した後で、ステージに出ると自分たちの方が圧倒的に客が多く盛り上がったりすると、何とも後ろめたい。(上手くてもカッコ悪かったらそうは思わないが)
もちろん音楽の魅力には様々な側面があり、自分には技術不足を埋め合わせる他の能力が多少あるのも自覚している。
それでも「これが俺だ!」と胸を張れない自分がいる。
自分なりに楽しんでやって、お客さんも喜んでいるんだからいいじゃないかとは到底思えない。
誰もが楽しめるのが音楽だ、という話とは全く別の話だ。

そもそも、僕の最も好きなミュージシャンは「味のある」とか「ヘタウマ」と形容されるミュージシャンではなかった。
僕の好きなのは、味わい深いのはもちろんのこと、技術も音色も構成力も協調性も備えた、パーフェクトな本当に「上手い」ミュージシャンだ。
何も有名どころを挙げなくとも、70年代〜80年代の名もなきスタジオミュージシャンは誰も彼もが上手かった。
かつてはそういうプレイヤーでなければ仕事がなかった。
パンクやフリージャズのような、衝動を最優先する音楽も好きだし素晴らしいと思うが、今の自分はもう少しエレガントなものがやりたい。

そんな思いもあって、来月にある某DJとのセッションに、サックスではなくSP-303というコンパクトなサンプラーを持っていこうかと考えている。
別のサックスのやつも誘ったので、サックス的なものを求められても対応できる。
あと誘ったのはギター、ベース、ドラムとパーカッション。
キーボードはサウンドに隙間がなくなるので呼ばなかった。
さてこの編成で何をやるか。
今後のソロ活動にヒントになるものが得られればよいなと考えている。

2010年10月5日火曜日

全て受け入れるんだよね

僕たちはよく似た未熟さを持っている。

一見人当たりがいいが、実は結構短気なところ、頑固で偏屈なところ、口が悪く軽率なところ、そして人を信じていないところ。
似ているものだから、相手の気分が悪いときにはすぐ分かる。取り繕ってもすぐばれてしまうから、本当に成長するしかない。
でも人間そう簡単に成長するものではないから、今日も同じ未熟さを見つけ合う。

平均的な人間関係というのは、概してここまで踏み込まない。
いちいち気に障る点を指摘していたら煙たがられるし、自分に矛先が向けられることもある。
あなたの欠点には目を瞑るから、私のことも見逃してほしい。
感情を乱されたい人間なんていないから、境界線をなるべく越えないようにするのが無難というものだ。

しかし、僕たちはそう思っていない。
心の底から、そんなことを望んでいない。
自分のこうなりたいという理想、相手にこうしてほしいという夢想、分かって欲しい気持ち、分かってあげたい気持ち、愛し愛されたい、利己的であり利他的である本能の矛盾を喜怒哀楽でごちゃ混ぜにしてぶつけ合う。
トリガーは孤独と愛情だ。

僕たちはいつでも誰にでも優しくなんかない。
もしあなたたちにそう見えるなら、それはあなたたちに心を開いていない証拠である。
心を開く必要もないと思っている。
僕たちには、結局2つの選択肢しかない。
周りに合わせて受け入れてもらうか、思ったことを表現して敬遠されるか。
どちらも問題のある道ではあるが、何れにしろ、自分自身は何も変わらない。
僕たちはあなたたちとは違うのだから。
一纏めにしてしまいたい位、あなたたちとは違うのだ。

ああ、よかった。

2010年9月26日日曜日

あやまっても許さないんだからね

他人の気持ちを考えられるのはいいことだ。
僕みたいに自分勝手な人間からみると、すごいと思う。
だが、それがいつも当たっているとは限らない。
ときにはその気遣いが迷惑であり、逆にその人間の無神経さを露呈することもある。

他人の気持ちを想像するとき、人は自らの経験を基にして想像することしか出来ない。
いくら想像力や知識があっても、気持ちが分かるのとは別の話だ。
つまり、他人の気持ちが分かるというのは、あくまでも自分をある立場に置いたとき、自分はどう思うかを想像することでしかない。

同じことを見たり聞いたりしても、嬉しく思う人もいれば、頭に来る人も、悲しく思う人もいる。
当たり前のようだが、ある事象に対して、受け止め方は人それぞれ本当に違うのだ。
しかし、それを現実として認められる人がどれ位いるか。
自分と似た感受性を持った他人のみを人間として認め、それ以外は「変わった人」で片付けていないか。
自分はこう思うからみんなそう思うだろう、その無邪気な論理は自分と違う人間を否定することではないか。

確かに、親しい間柄で、似たような感じ方や価値観を見つけることはよくあるだろう。
だが突き詰めて話せば、絶対に同じではない筈だ。
とは言うものの、同じものを、同じ観点で同じように感じることに安心を見出すような日本の社会では、些細な違いなど切り捨てて同化することをよしとする傾向があるように思える。
判で押したようにみんな同じ反応、まるで使い回し可能なシンプルなプログラムのようだ。
最近はITで何でも合理化だから、人の心もモジュール化しているのかもしれない。

幸せを願ったり、心配したりってのは、身の周りの手が届く人間に対してでいいじゃん。
僕にとってはそれが精一杯やって出来るかどうかだし、出来る人は偉いと思うよ。
何で、大した知らない人のことまで「思いやり」、自分の「善」を押し付け、あげくその「善」を認めてもらおうとするのか。
大人としてのモラル?
それとも驕り?

2010年9月19日日曜日

おっちょこちょいだね

一昨日発売の「KORG DS-10 PLUS」、あちこち探しまわったけど全然どこにも売ってないじゃないか!
と思ってよくホームページを見たら、何と去年の9月17日発売だった。
ちょっと誰か言ってよ。恥ずかしい。
大騒ぎしたエントリー消そうかと思ったよ。
なかなか店に置いてない訳だ。
しょうがないからamazonで注文したよ。

でもヘッドフォンは買った。
結局、「SONY MDR-7506」にした。
何だ、少し心配してたけど普通に音いいじゃん。
評判通り、「SONY MDR-CD900ST」を聴きやすくしたような音だね。

そしてゲームを買いそびれた足で「9dw rmx」も買った。
生楽器やヴィンテージシンセを使ったディスコ・ダブ、バレアリック系リミックス等々。
LASVEGAS聴いたときも思ったけど、こういうのやってみたいな。
Ray Mangのリミックスがやっぱり最高だ。
DS-10 PLUSが届くまではこれを聴いていよう。

2010年9月15日水曜日

音楽は大事にしないとね

実は少し前から、転職活動中である。

今の仕事は忙しくないのはいいが、何しろ安月給が心許ない。
また、最近は仕事内容もバカバカしさに拍車がかかってきた。
それに、低俗な上司ともいつまで大人の対応が出来るか自信がない。
という訳で、収入アップ・やりがいアップ・クールダウンの三本柱を目標に、新天地を探しているのである。

好きなことだけして食べていけたらいいなと長年思っているが、未だ叶わず、嫌なこともしなくてはならない。
音楽にしろ何にしろ、面白いことってのはそう簡単に金に結びつくものではない。
まして今は、インディペンデントなミュージシャンにとって冬の時代だ。
こんな不安な状況では、作る音楽も地に足が着かないフワフワしたものになってしまいそうだ。(浮遊感のあるコード進行はカッコいいが)

こんなこと言うと一部には反感も買おうが、僕は余裕が無い音楽は作りたくない。
そういう音楽をたくさん知っている。
4畳半のボロアパートのそのままのスケール感の、あまりに貧相な音楽。
生活に疲れ諦念に塗れた、本人が気付いていない無表情そのままの音楽。
何があったのか知らないが、ストレスや不平不満のために、音楽を生み出すこと自体を放棄している音楽。
好きな人もいるんだろうが、僕は嫌いだ。

もちろん、ギリギリの崖っぷちで生まれる音楽が時としてすごいエネルギーを持つことは知っている。
現代のポップミュージックのルーツであるブルースやジャズも、奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちが過酷な状況の中で生み出したものだ。
あるいは、80年代初頭のアメリカのゲイ・カルチャーにとって、週末のディスコだけが日常から逃れられる場所だったように。
ネガがポジに反転する瞬間だ。

だが彼らの音楽には、暗闇に差す一条の光のような希望があったのだと思う。
たぶん幸せなことに、日本に住むノーマルな僕の日常はそれほど暗闇ではない。
中途半端な明るさの中で、中途半端な光が差している。

あなたも似たようなものだろう。
そんな僕たちが、彼らに負けないエネルギーを持つものものを作り出すにはどうしたらいい?
決まっている。
本当に好きなことを、必死で守り続けるのだ。

2010年9月12日日曜日

入れたら出すんだよね

数ヶ月前に作ったトラックにラップを乗せてもらったので、アレンジをしている。
ラップは決して悪くないのだが、作業がなかなか遅々として進まない。
理由は分かっている。
僕は、この曲をどうしたかったのか、この曲がどうなりたかったのかを見失っている。

長い間、ジャンルに拘らず音楽を聴き漁ってきた。
本や映画も同じ。
何でも読み、何でも観てきた。
テレビは殆ど見ないが、毎日、RSSリーダーやTwitterで膨大な量の情報をチェックもする。
引き出しは増えたが、だからどうというものでもない。

雑多に詰め込まれた大量の引き出しの中から、必要な情報をピックアップするのは至難の業だ。
さらに、蓄積した情報をいかに生かすか=アウトプットするかが本当は重要なのだが、そこまで行かないことも多い。
そもそも、何をアウトプットするかもよく考えないうちにひたすらインプットするのが間違っているのではとさえ思ったりする。
膨大な情報の海の中で、「アレ、どこに行きたかったんだっけ?」と遭難しそうになることがよくあるのだ。

僕は元来好奇心が旺盛で新しもの好きなので、抑制しなければどんどんインプットしてしまう。
(そしてどんどん古いデータは削除されてしまう。)
脳に蓄積可能な情報量も、使える時間も限られているのだ。
だから何をアウトプットしたいのかをある程度見定めた上で、インプットするものを選ぶことも必要なのではないか。

そのための手段のひとつとして、このブログを書いている。
自分が本当に好きなもの。
大切にしたいもの。
誰かに伝えたいもの。
それを見失っているようでは、あちらこちらに申し訳ないもんな。

2010年9月10日金曜日

ヘッドフォンが欲しいね

最近ヘッドフォンが欲しくて調べている。(何を隠そう、先日書いた「KORG DS-10 PLUS」用)

今使っている「SONY MDR-Z900」は低音がモコモコしたヒップホップ向きの音で気に入っているのだが、何しろゴツくて重い。
せっかくDSが手軽なのに大袈裟過ぎる。
それで、スタジオによくある定番「SONY MDR-CD900ST」が軽いし慣れてるしモニターにも使えるしいいかなと思ったのだが、それの海外向けみたいな「SONY MDR-7506」にしようか迷っている。
CD900STに比べると、音は少し低中域が出てドンシャリ気味になっており、モニター性能は落ちるが聴きやすい音になっているらしい。
長時間使うことを考えると、聴き疲れしないのは大事だ。

そして外観はカールコードなのがポイント。僕は電話機みたくこれを指でクルクルやるのが好きなのだ。
また、CD900STでは赤かったハウジングの帯が青になっているのだが、それがちょっとかっこいい。
これを持ってスタジオに行けば、「おっそれ帯が青いね?何それ?」と注目を浴びること間違いなし。
「フフンこれはね…」と説明して羨ましがられたりすれば、何だか自分に自信が出て、普段よりもいいプレイが出来るかもしれない。

でも今一番欲しいのはコレ
かの大御所ヒップホッププロデューサー、Dr.ドレ監修のヘッドフォンだ。
SONYの2機種とは違ってオシャレなHPが用意されてるので、店で見た実物よりさらにかっこ良く見える。
赤い「b」のロゴもクールだ。
何だかさっきから見た目のことばっかり言ってるな。
でも高いので買わない。DS用だし。

2010年9月7日火曜日

こんな歌はいやだね

僕の職場では毎日音楽がかかっている(主にJ-POP)。
羨ましいと思う人もいるだろうが、これが全く嬉しくないのである。
何故なら、かかる曲の殆どが嫌いなものばかりなのだ。
それに、嫌いな曲に限って繰り返しかかるので、寝る前に頭の中でリフレインしていたりする。
迷惑なことこの上ない。
音楽的に嫌な点も色々あるが、今回は歌詞に注目して、どこが迷惑なのか分析をしてみよう。

例えば、僕は昔から頑張れソング・応援ソングを軽蔑している。
売れていたりするし、結果的に勇気をもらう人もいるのだろう。
でも「ならばいい(許す)」とは決して言えないのは、その曲を歌う理由に疑問を感じるからだ。
そんなに一体誰に何を頑張って欲しいのか。
さっぱりそれが分からない歌が多く、頑張りたい側からすれば、却って戸惑うこともあると思う。

そもそも、頑張りたくない人なんかいない筈だ。
頑張っていないように見える人は、理由もなく何でも頑張れという社会に馴染めなかったり、何をどう頑張ればいいのか分からなかったりするのではないか。
そんな事情も考えず、顔も見たことない大衆に向けて、ただ頑張れと言っているんだとしたら、何と偉そうな物言いか。

反戦や政治を歌ったものも嫌い。
70年代のフォークブームの時代なら分かるよ。
日本全体の若者がそういった熱さを共有していたんだから。
でも今の時代に、本気で音楽で世界を変えられるとでも思っているのか。
立派なこと歌っている自分に酔って、聴いてる方も一緒にいいことしている気分に浸っているだけじゃないか。

あとだいぶ前から増えてきた気がするが、男性歌手の「弱い自分」を曝け出した曲は何なのだ。
人前なんだからもっと格好つけるか、オチくらいつけて笑わせてくれよ。
苦しそうな高音で切々と訴えられては、そのうちワーンて泣き出すんじゃないかと心配してしまう。
ファンの女の子にとってはそれが堪らないんだろうけど、同性の自分から見たら気持ち悪くてしょうがない。

頑張れソングでも聴いてもっと頑張ってくれよ。

2010年9月5日日曜日

最近のゲームはすごいね

たまには柔らかい話題を。

明らかに最近運動不足で、何かしないとなと思ったが、外は暑いのでWii Sportsを始めた。
今となっては少し古いゲームだが、最初に出ただけあって、非常にWiiらしいゲームだと思う。
本気でやるとちゃんと疲れるので、運動不足も少しは解消されるかな。

任天堂といえば、今月17日に出るDSの「KORG DS-10 PLUS」に興味津々。
初代「DS-10」のときはもっとオモチャっぽくてそんなに惹かれなかったが、今度のは使えそうだぞ。
プレイ中にパラメータをいじれるのがかなり面白そうだ。

KORGはiPadでも「iELECTRIBE」を出している。
これが出たときは、さすがにiPadが少し欲しくなった。
でも冷静に考えると、これだけのためにiPadを買うのはバカバカしいし、そんなに操作性が良くないだろうということで熱が冷めた。
操作性はDSでも良くないだろうが、iPadと違ってどこでも気軽に遊べそうなのがいい。
iPadみたく何でも出来るより、音楽に集中できる気もするし。
そもそも現代のPCベースの音楽制作環境というのは、気が散ってしょうがないのだ。

本当はちゃんとツマミが触れるハードが好きなんだけどね。

2010年9月4日土曜日

人付き合いって大変ね

結構人脈が広い方だとは思う。
音楽をジャンルに拘ることなく長い間やってきたし、堅気の仕事の方でも色々な職種に就いたし、音楽以外にも多趣味なので、自然と知り合いが増える。
違う分野でも同じようなことを考えている人がいたりして、話すと刺激を受けるのも楽しい。

しかし、それと人付き合いがいいのとは違う。
社交的で誰とでも話すと勘違いされることもあるが、本当はほとんどの他人に興味が無い。
人間嫌いと言ってもいい位だ。
コミュニケーションのためには相手の良いところを探せとか、まず話を聞けというが、そんな面倒なことまでしてコミュニケーションを図る必要があるのか。

我慢して相手の話をフンフン聞いてみたことも何度かあるが、時間の無駄だった。
やはり、面白いやつは話す前から面白そうな臭いがするものだ。
傲慢に聞こえるかもしれないが、出来ればそういう人間とだけ付き合いたいのが本音だ。

だが現実の社会では、当たり前だがそうもいかない。
何てバカでくだらないやつなんだろうと思っても、耐えなければならないことも多い。
耐えながら、こいつは生きている価値があるのだろうか→親や恋人や友人にとっては価値があるのかもしれない→こんなやつに価値を見出すそいつ自体が価値がないのではないか…という無限ループに飲み込まれ、自分も含めた人間の存在全体に虚しさを感じ、そしてそのネガティブな気持ちになる原因となったそいつのことがますます嫌になる。

そんな自分にとっては、ここ数年のSNSブームはとにかく気に入らない。
ビジネスではやらざるを得ない時代の流れなのは分かる。
自分も音楽関係でやってるし。
でも、プライベートでどうでもいいことを発信して、どうでもいいレスがついて喜んでいるやつは理解できない。
何が人と人の繋がりだ。
ろくに話したことも無いやつ大勢とそんなに繋がっていたいのか。
フレンドやフォロワーが多ければ淋しくないか。
数が多ければ自分の価値があると安心するのか。

おれは自分にとって本当に大事なやつ数人だけでいいよ。
そいつらとだけ、どうでもいいことを話したい。

2010年9月3日金曜日

バンド脱退の真相はね その2

もう1つの理由は宗教だ。

僕の家は浄土真宗だった筈だが、平均的な日本人よろしく信心深い訳でもないし、無宗教に近いであろう。
しかしこんな日本にも、「信じている」人は意外といるものだ。
バンドの中心人物が、とある宗教に骨の髄まで浸かっていた。
そして僕に同じ信仰を強要した。
本人はただ自分が良いと思うモノを勧めたつもりだろうが、とても迷惑だった。
本を貸してくれたり、自分でも調べたりしたが、良いと思うどころか、余りに排他的な内容に呆れた。
向こうは向こうで、いくら言っても全く興味を持たない僕に腹を立てていった。

「私の音楽を認めるのに、何故それが生まれた背景を見ようととしないのか」ということを言われた。
音楽が生まれた背景なんてどうでもいいよ。
自分の曲だって、原料が何かなんて考えたこともない。
今まで聴いて来た音楽とか、音楽以外の体験とか、様々な影響は確かにある。
でも気に入った曲が出来たときは、不思議と自分で作った気がしないものだ。
演奏も同じ。
いいプレイが出来るときというのは、自分が演奏しているんじゃなくて、自分の演奏を聴いている感じ。
特別に信仰がなくても、創作とはそういうものなんだよ。

そもそも音楽のいいところは、信仰や人種や言葉、思想の違いを超えて感動を与えるところだと思っている。
だからこそ、ただいい音楽を作ろう、という気持ちだけでやりたかった。
せっかく音楽という素敵な共通言語があるのに、何故それだけではダメなのか。
性格が最悪なやつでも、演奏は素晴らしいという人間はたくさんいる。
普段話している分では全く合わないなと思う人間の音楽に、シンパシーを感じることもある。
長い時間話しても分からなかった彼の人間性を5分間で窺い知ることが出来る。

ある音楽は、宗教的とか哲学的と例えられることもあるが、あくまでも比喩に過ぎず、実際に音で体系的な思想を表現するのは困難だと思う。
音楽が表現するのは感情であり、言葉になる前の思考のイメージだ。
言葉でアウトプットした途端にどこか違うものになってしまうイメージを、裸のまま伝達する。
それをわざわざ誰かと同じ色にする必要は無いと思うのだ。

2010年9月2日木曜日

バンド脱退の真相はね その1

早速のびのびとバンド脱退の真相でも書こうかな。
2つ理由がある。

1つは普通に音楽の方向性のことだ。
最初から自分の本来の音楽とは違うことは分かっていたが、なかなか曲がいいのと、ライブをいろいろな場所でやれるのが楽しいのでやっていた。
演奏中やミックス作業中に感動したことは何度もあったし、地方でのライブはファンが温かくてよかった。
たくさんの人と知り合えたし、好きなアーティストと共演する機会にも恵まれた。
本当にいいことが色々あった。

でも、そろそろ自分の本当に好きな音楽を絞るべきだと思った。
このバンドに限らず、仕事の依頼はそれなりに色々来ていたが、心からやりたいと思えた仕事なんて殆ど無かった。
商業ベースにのっている殆どの音楽は、作る前からどんなものになるかが8割方決まっている。
どんなCDになって、どんな売られ方をして、何枚位売れるのかまで想像出来てしまう。
それでも残り2割の狭い枠内で、己の創造性を働かせ、自分らしさや主張を何とか詰め込もうと足掻くのだ。
これはお金を他人に出してもらう以上、仕方の無いことであるとも言えるが、果たしてそうそう割り切れるものではない。

自分はこれがやりたくてミュージシャンをやっているのか?
音楽と引き換えに多くのモノを犠牲にした人生に胸を張れるか?

こんな考えは甘いとも思った。
みんな多かれ少なかれ、本当にやりたいことを我慢してCDを出している。
リスナーに認められない音楽は出す価値のない、ただの独りよがりに過ぎない。
あるいは一発当てて、ハクがついてから本当に好きな音楽をやらせてもらえばいい。
それがプロというものではないか―

しかしこれは、本当につまらないんだよ。
一方で、例え売れなくとも素晴らしい音楽を作り続けている人もいることも事実なのだ。
その多くは自費で、マネージメントも自分でやって。
大体、プロデューサーやクライアントの言われた通りに作ったからって売れるとは限らないし、売れたからいい音楽な訳でもない。
それに売れるかどうか、聴いてもらえるかどうかは出してみなければ分からないのだ。

自分が本気で作った音楽で、勝負してみるにはいい頃合いだと思った。
そのための準備をしよう。
これが1つ目の理由。

もう1つの理由は次回書きます。

2010年9月1日水曜日

しがらみって面倒ね

何しろmixiやらオフィシャルブログは気を遣ってしまって思うように書けん。
これを書いたらあそこに角が立つ、こんな言い方だとあの辺で文句を言われる、そんなことを気にしながら一体何が書けようか。
元々人目など気にしない筈だったが、いつからか「そんなに突っ張ることないな」「わざわざ見に来てくれた人を傷つけるのはどうか」と思うようになったのは大人になったということか。(今さら)

と言う訳で、新しくここでのびのびとやることにした。
お手柔らかにお願いします。